行動変容を促す医療コミュニケーション戦略

2019.8.8平井 啓 氏
大阪大学大学院人間科学研究科准教授


既成概念にとらわれず自由な発想を活かしたい。私たちの会社では、こんな想いから外部講師を招き、セミナーを実施しています。

近年、医療や公衆衛生の現場にも行動経済学の理論が応用され始めています。行動経済学とは、従来の経済学において一貫して合理的な判断・選択を行うと想定されてきた「主体」を、様々なバイアスの影響を受け、非合理的な判断・選択を行うものとして捉えなおし、現実の人間の行動を分析する学問です。日本においても、がん検診の受診率向上のために行動科学やソーシャルマーケティング手法が活用され、実際に受診率が向上した事例などがあります。医療従事者や患者さんの心理に着目する新しいアプローチには、医療コミュニケーションのサポートに従事する私たちにとっても、様々なヒントが隠れているのではないかと思われます。そこで今回は、2018年7月に編集者の一人として『医療現場の行動経済学-すれ違う医者と患者(東洋経済新報社)』を上梓した大阪大学大学院人間科学研究科准教授 平井 啓 氏をお招きし、「行動変容を促す医療コミュニケーション戦略」というテーマでご講演いただきました。ここでは、その一端をご紹介いたします。

講師:平井 啓 氏

大阪大学大学院人間科学研究科准教授

1972年山口県生まれ。1997年大阪大学大学院人間科学研究科博士前期課程修了。1997年大阪大学人間科学部助手、同大型教育研究プロジェクト支援室・未来戦略機構・経営企画オフィス准教授を経て、2018年より大阪大学大学院人間科学研究科准教授。博士(人間科学)。2010年より市立岸和田市民病院指導健康心理士。専門は、健康・医療心理学、行動医学、サイコオンコロジー、行動経済学。2007年日本サイコオンコロジー学会奨励賞、2013年日本健康心理学会実践活動奨励賞を受賞。

なぜ患者と医療者はすれ違うのか?=見えている世界が違う

医療コミュニケーションにおける基本的な問いである「なぜ患者と医療者はすれ違うのか?」に対する平井氏の解答は、そもそも「見えている世界が違う」というものでした。「見えている世界が違う」とは行動経済学的に何を意味するのか?平井氏は次のように述べます。第一に、医療者は「患者は合理的意思決定ができる存在」であることを前提としていますが、実際には合理性は限定的で、患者は医療者からすれば非合理的な選択を行います(限定合理性)。すなわち合理性を前提とすること自体が誤りであるため、残念ながら医療者の説明は患者の意思決定に反映されない状況が生み出されます。第二に、医療者と患者はさまざまなバイアスの影響を受けています。バイアスには現在バイアス、利用可能性バイアス、現状維持バイアス、サンクコスト(埋没費用)バイアスなどがあり、これらのバイアスが意思決定のプロセスに影響を及ぼします(図1参照)。

<図1>(上2枚)

したがってすれ違いの解消のためには、患者・家族・さらに医療者も、すべてを合理的に理解することは難しい(限定合理性)ことを認識し、影響を与えるバイアスの存在を考慮した上で、少しずつ意思決定のプロセスを補正していくことが重要だ、と平井氏は語られました。

合理性を前提としない意思決定・行動変容のための仕組みを活用する

限定合理性とバイアスの存在を考慮した上で、実際の行動変容につなげるためには、行動経済学で既に提唱されている様々な理論、仕組みを活用していくことも必要だ、と平井氏は述べられました。それはプロスペクト理論とフレーミングの活用、ナッジの活用、医療者自身への意思決定支援を利用(チーム医療)することなど多岐にわたります。平井氏が実際に行った乳がん検診対象者に対する先行研究では、プロスペクト理論における参照点(価値の基準点)が検診対象者によって異なることを見出し、それぞれの参照点に合わせたメッセージ資材を開発することで受診率が有意に向上することが報告されました。
またリバタリアン・パターナリズムを活用することも行動変容を促す仕組みの一つです。リバタリアン・パターナリズムとは、「望ましい選択の方向性が明らかな場合、その選択肢を選びやすくする設計を導入しつつも、それを選択したくない場合、その選択を拒絶する自由を与えられるべきである」という考え方であり、海外では脳死時の臓器移植同意選択などに適用されています。医療者-患者間のコミュニケーションにもリバタリアン・パターナリズムを応用することは可能であり、その活用ポイントについて解説していただきました(図2参照)。

<図2>

現実の人間の意思決定プロセスには限定合理性とバイアスが影響することを認識し、上記に挙げたさまざまな仕組みを活用することで、医療コミュニケーションにおいても行動変容を促すことができるという要旨で講演は締め括られました。

(メディカル・ライティング部 曽我 亮介)

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